元特攻兵のお話

岐阜市にお住まいの上松啓一さんは、元海軍の特攻兵でした。
死を覚悟し、特攻を目の前にして終戦を迎えられたそうです。
昭和20年7月の戦災で焼野原の岐阜に帰り、苦しい日々を過ごされた。
昭和20年台は食糧事情が一番悪かったそうで、育ち盛りの十代から二十代を腹を空かせて過ごされた。
働きに出るようになっても、弁当は痩せた芋1本。
それでも勤めに行く途中、腹が空いて学校に行けないと泣いている子供に芋を半分分けてやり、学校に行くように諭したそうです。

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そんな上松さんが、最後に仰ったこと。
先日イオンのフードコートで座っていた時の話。
隣の席の高校生が食べ終わり、去った後の散らかしっぱなしの机には、一円玉や五円玉が散乱していたそうです。
おそらく小銭が邪魔だったのでしょうか。
その光景を見て、上松さんは涙が出たそうです。
豊かになったことはいいけれど、感謝の心を忘れてはいけない。
以下、上松さんからお聞きした生き方の五箇条。

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元特攻兵のお話” に対して1件のコメントがあります。

  1. ペガサス より:

    PASS:
    こん○○は
    どれも感慨深い言葉ですね
    σ(゚▽゚)アテクシ家の主殿、幼少期に一時各務原での疎開体験があると聞かされたことがあります。
    陸軍飛行場から飛び発つ軍用機がかっこよくかつ強く見えたと得意げに話してましたが、当時の実情に捩曲げられた教育の影響、錯覚だったんでしょうね
    今の世の中、物的には豊かだと思いますが、その実、心理的には貧相かなと感じます。
    思い通りにならないから、傷害犯罪に及んだり自らの命を絶つたり…
    生死に関わる大変な時代を生き抜いた上松さんのよーな存在や生き様から今に活き学ぶこと少なくないと思います。
    m(__)m

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